2011年11月18日

北川村墓前祭

遅ればせながら、12日の北川村墓前祭のご報告を・・・あせあせ(飛び散る汗)

慎太郎の命日より少〜し早く、奥方様の兼さんと並ぶ遺髪墓地にて
神事を執り行いました。

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その後、慎太郎館前に場所を移して大林幸二さんのコンサートが
ありました。グッド(上向き矢印)

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慎太郎のことを歌った「中岡慎太郎伝〜維新の若虎」はもちろんのこと、
懐かしの歌謡曲数曲を2部に分けて熱唱してくれましたexclamationるんるん

一曲歌い終わる度に観客のみなさんから大喝采が起こります!


その後は、「維新の若虎」をみなさんで競ってのカラオケコンテストも
ありました。
こちらも大盛況ぴかぴか(新しい)

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お衣装用意の強者から飛び入りの方まで、様々な慎太郎を
聴かせてくださいましたわーい(嬉しい顔)

ご参加くださったみなさん、本当にありがとうございました!!


その近くには軍鶏鍋を振る舞うテントがかわいい

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召しあがったみなさんの方々から
「おいしいね〜グッド(上向き矢印)
というお声が・・・。
嬉しい限りですぴかぴか(新しい)

盛況のうちに今年の墓前祭も幕を閉じました。
ご協力・ご参加くださったみなさん
ありがとうございました!!
来年もやるきんね〜exclamationグッド(上向き矢印)
posted by 顕彰会 at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 顕彰会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

命日

今日は11月17日中岡慎太郎の命日でした。

当時、利岡家に送られた京都・近江屋での

慎太郎の死を報告する手紙が

先日、慎太郎館にて展示されたことが

記憶に新しいのではないでしょうか。



一度回復し、「焼飯を食べたい」とまで言っていたそうですが

その後、体調が悪化し龍馬の死から2日後に亡くなったそうです。



板垣退助いわく

「もし2人が生きていれば龍馬は岩崎弥太郎のような商人に、

慎太郎は西郷と肩を並べるほどの政治家になっていただろう」



慎太郎が30年生き、活動した爪痕は

今の私たちの財産ではないでしょうか。




今日ご参拝に来て下さったお客様

11月12日に執り行われた北川村墓前祭にてご参拝下さったお客様

11月15日に京都霊山護国神社にて執り行われた京都墓前祭にてご参拝下さったお客様

ご来訪頂き誠にありがとうございます。

心より感謝申し上げます。

今日、慎太郎の遺髪墓地にはたくさんの花が手向けられました。


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土佐おもてなし勤王党 中岡慎太郎さんも来て下さいました。
posted by 顕彰会 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 顕彰会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

鴻上先生と行く向学の道

登ってきましたよ、「向学の道」!!
今回は北川村の観光協会が主催したものに参加させていただきました。
県立牧野植物園の職員もされている、鴻上泰(こうかみやすし)先生の
ご案内のもと、2時間弱の道程を歩いてきました。

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所々で足を止めては、植物の解説をしてくださる先生。
小さい頃から目にしているものの、その名前も知らなかった植物の
変わった生態などをわかり易くお話してくださいました。


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コースの中ほどには、慎太郎の幼名がついた「光次(こうじ)の並木」
もあり、顕彰会も少しばかりご説明を・・・(*^-^*)

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真下から見上げた感じ

先生曰く、杉の木だそうです。
昔から植林と言えば杉と決まっていたんでしょうかね??

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途中の木々の切れ間から見えた風景

手前に奈半利川、その向こうに野友地区が見えます。
幼少期の慎太郎が毎日手習いに通っていた漢方医の島村岳作宅は
ここにありました。


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野苺!

そんな感じで、植物と歴史と自然にふれた楽しい2時間でした!!
みなさんも機会がありましたら
ぜひ向学の道を登りに来て下さいね!!



posted by 顕彰会 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 顕彰会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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