野根山二十三士の首領として知られる 清岡道之助の書が
今年3月、奈半利の古民家にて発見されました。
12月12日(月)には高知新聞に取り上げられ
只今、中岡慎太郎館の土佐勤王党結成150年記念特別企画
「東部地区の土佐勤王党と野根山二十三士」にて初公開しております。
〜清岡道之助〜土佐国安芸郡田野村の郷士
天保4年10月20日〜元治元年9月5日
文久に入り、藩命により大阪へ赴任したことをきっかけに志士として活動しはじめる
文久2年、京都にて武市瑞山と出会い親交を深める
土佐勤王党に加盟はしていなかったが、
勤王党が大弾圧を受け武市を含む主要メンバーが投獄された際
安芸郡の指導者であった道之助は高知城下へ向かい
各地の指導者と勤王党の解放活動に努める
しかし要求は受け入れてもらえず
清岡は配下・門弟計22名を引き連れ岩佐の関所へ武装し屯集する
その行動は高知城下へ大きく伝わり脅えさせ
藩庁に反乱とみなされ阿波藩にて取り押さえられた
2日後、一切取り調べもないまま奈半利川河原にて全員斬首された
後に、この23名を野根山二十三士と呼び奈半利川河原には記念碑が建立されている
この時、中岡慎太郎は土佐の同志へ「泪をかかえて沈黙すべし。他に策なし」と
自重するよう手紙にて呼びかけている
書は、縦131cm×横29cmの紙に「雨欺梅影痩風助竹聲寒」と書かれ
道之助の号「居島散人」が記されています。
書の意味は?
道之助と奈半利の古民家との繋がりは?
是非一度見に来て下さいませ!!
●お知らせ●
誠に勝手ながら中岡慎太郎生家の修繕を
12月26日〜2月末日頃まで行います。
生家敷地内への出入りが出来ませんのでご承知の程よろしくお願い申し上げます。
茅葺の葺き替え等、今では見られない施工を致しますので
よろしければこちらも見に来て下さいませ(o^^o)