当時、利岡家に送られた京都・近江屋での
慎太郎の死を報告する手紙が
先日、慎太郎館にて展示されたことが
記憶に新しいのではないでしょうか。
一度回復し、「焼飯を食べたい」とまで言っていたそうですが
その後、体調が悪化し龍馬の死から2日後に亡くなったそうです。
板垣退助いわく
「もし2人が生きていれば龍馬は岩崎弥太郎のような商人に、
慎太郎は西郷と肩を並べるほどの政治家になっていただろう」
慎太郎が30年生き、活動した爪痕は
今の私たちの財産ではないでしょうか。
今日ご参拝に来て下さったお客様
11月12日に執り行われた北川村墓前祭にてご参拝下さったお客様
11月15日に京都霊山護国神社にて執り行われた京都墓前祭にてご参拝下さったお客様
ご来訪頂き誠にありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
今日、慎太郎の遺髪墓地にはたくさんの花が手向けられました。
土佐おもてなし勤王党 中岡慎太郎さんも来て下さいました。